ルーツを巡る旅 〜八納家の先祖に出会った〜

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この夏、主人の本家である、徳之島に親子3人で旅行をしました。
主人の父母とも、先祖は徳之島の出身で、とても縁のある土地です

そして、私にとっても、徳之島を訪れることはとても意味のあることだと感じていました。

私が主人と結婚したのは19年前。なので19年「八納」の姓を名乗っているし、実家の

神戸には、お盆とお正月に欠かさず帰省します。八納家はとても親戚の集まりを大切にする

家なので、帰省したら必ず15名くらい集って、昼間から美味しいものを食べ、お酒を飲む

が習慣です。

私の実家はあまりお酒を飲まないので、おじさんたちがグデングデンになるまで酔っ払うのは

びっくりして、最初は慣れませんでしたが、みんな優しくて朗らかで会話は楽しくて、料理

上手なおばさんがいて、食べ物も美味しい。居心地はいい、、はずなのに、私にはある気持

がいつもありました。

「私は八納家の人間ではない」

血は繋がっていない。それは当たり前。もちろん理由の1つですが、それだけではないのです。

いつも歓迎してくれるのにどうして?とすごく不思議でした。

今、書いていて、娘が初めて主人の親戚の集まりに行った時に、「この子には八納の血が流れて

いるんだなあ」と羨ましく感じたことを思い出しました。時に「私はここにいてはいけない」と

思うくらいだったので、想像以上に囚われているのだと思います。

そして、今回徳之島に行くことが決まった時、私の中で次のような声が聞こえました。

「私はやっと八納家の人間になれる」

誰の許可か、何の許可なのか、全く分かりませんが、このような声を聞き、私はとても嬉しくて、

ホッとしたような感覚になりました。

実際、徳之島に行き、親戚の方々に会い、お墓まいりをし、徳之島独自のお祭りに参加する機会

にも恵まれました。

初めてお会いする方たちばかりなのに、妙に懐かしく、前に会ったことがあったような、

不思議な感覚でした。私は本来人見知りで、自分から会話をなかなか始められないのですが、

日常会話を普通に話していることに自分で驚きました。自分の気持ちに素直で、正直な私がいました。

徳之島にはこれからも何回も来るだろうな、と直感で思いました。その場に行くと本来の

自分に戻れる場というのがあるとしたら、私にとってそこは徳之島のような気がしています。

広島に帰っても、ふと、八納家のお墓が立っている徳之島の海の景色を思い出します。

地面からエネルギーが湧き出ているような、強いけど柔らかい感覚。

それが八納家のエネルギーだとしたら、私はやっとそのエネルギーを受け取ってもいい、

と自分に自分で許可を出したのかもしれません。

この夏は後から振り返っても、節目になるような夏だったと思います。