コンプレックス”天然パーマ”の話

私は小学校5年生の後半に急に髪の毛が天然パーマになりました。小6〜中2くらいが一番クセがひどくて、まとまらない髪の毛にいつも不機嫌でした。今は天パの髪の毛を活かしてくれる理容師の方にも出会えて、受け入れられるようになりましたが、中学生の私は天パが嫌で嫌でたまりませんでした。ストレートパーマをかけて、なんとかまっすぐにする。でも、1週間もしないうちにうねりが出て、効果なし。天パになった自分を呪い、どうして天パに生んだのか、と親を恨みました。

 

大人になった今は、「他人は私の髪なんて、そんなに見ていない」と冷静に考えられますが、特に、雨の日や梅雨などの湿気が多い時期に、髪の毛が思い通りにうまくセットできないことは、私にとって死活問題でした。そういえば、雨の日に、どうしても髪の毛がうまくセットできなくて、友達との約束をドタキャンしてしまい、友情にヒビが入ったこともありました。「雨の日だから外に出たくない」という理由は、ワガママ以外のなにものでもなく、友達が腹を立てるのも当然だと思うのですが、当時の私にとっては、”それほどのこと”でした。「男子だったら坊主にできるのに、、、」とか、「髪の毛がない世界にならないかなあ」とか、いろいろ思いました。

 

先日、久しぶりにこの気持ちを思い出し、私の中で次の図式があることに気づきました。「天パ=自分に自信がなく、自分を好きでなかった頃の象徴」。今でも雨の日など、湿気の多い日は髪の毛がうまくセットできないことが多いのですが、いつの日からか、そんなこと、あまり気にならなくなっていました。

 

「いつごろから、そう思うようになったんだろう?」それは、「自分って好きかも」とか「わたし、思ったよりもいいやつじゃん」と思えるようになったころと重なります。心模様を如実に表していたのが、天パ。それは、将来への不安だったり、思いを言葉にうまく言えないイライラだったり、がんばってもなかなか成果が見えない焦りだったり。いろいろな出来事に翻弄されていた自分。そんな中でがんばっていた自分。そんな思いが出てきて、自分をなでなでして、抱きしめると、ほっと落ち着きました。

 

雨の日に、鏡の前で格闘して、半泣きの顔だった自分を思い出します。それが今は、「まあ、髪の毛はイマイチだけど、とりあえず、笑おうか」と笑顔を作ります。笑顔が作れたら、気持ちも切り替えられる。そんな日々を送っています。