役割を手放す勇気 〜”一人”で過ごすことの意味〜

「一人になる時間をつくる」

それが、どれほど大切なことか。頭ではわかっていても、実際にはなかなかできないものです。

たとえば、朝から晩まで家族のために動き続ける人。
「少し休もうかな」と思っても、洗濯物や冷蔵庫の食材が頭に浮かんで、体が勝手に動いてしまう。
そんな経験はないでしょうか。

真面目で、責任感が強くて、誰かの役に立ちたいと思う人ほど、「何かしていないと落ち着かない」傾向があります。
それは悪いことではありません。むしろ、それがあなたの優しさであり、努力家である証でもあります。
でも、そのやさしさが自分を追い詰めてしまうことがあるのです。

私自身もかつてそうでした。
娘が生まれてからは、1日24時間ずっと“母親”でいるような感覚。
娘が保育園に行っていても、心のどこかで「ちゃんとやれているかな」と気になって仕方がない。
カフェで一人お茶をしていても、「こんなことしていていいのかな」という罪悪感がつきまとっていました。

「母なのに、何もしていない私」
「子どもを預けて自分の時間を楽しむなんて、わがままじゃないか」
そんな声が、心の中で響いていました。

ある時、沖縄のヒーラーの方にこう言われました。
「お子さんが6か月になったら、保育園に預けなさい。娘さんが多くの人から愛情をもらうチャンスが増えるから」
その言葉を聞いて、少しほっとした自分がいました。
“私がすべてを抱え込まなくてもいいのかもしれない”と。

それでも、最初は落ち着きませんでした。
子どもを預けて帰り道、なぜか胸がざわつく。
「今ごろ泣いているかも」「先生に迷惑をかけていないかな」
家に着いても、心だけがずっと外にあるような気がして。
ようやく椅子に座っても、何もしていない自分が不安でたまらなかったのです。

今振り返ると、その不安の正体は「役割がない自分」への怖さでした。
母、妻、仕事人、娘――
いつも何かの役割を果たしていることで、自分の存在を確かめていたのだと思います。
だから、それが一瞬でもなくなると、
「私は何者でもない」「何の価値もない」
そんな気がして、胸がぎゅっと痛くなりました。

この「役割がないと不安」という感覚を抱く人は、とても多いです。
友人の中には、子育てが落ち着いた途端に虚しさを感じた人もいます。
「夫も子どもも手がかからなくなったのに、なぜか心が満たされない」
そんなとき、人は“自分という存在”と向き合うチャンスをもらっているのだと思います。

一人の時間を持つことは、何もしない時間を持つことではありません。
それは、自分と対話する時間。
誰かの妻でも母でもなく、「私」として過ごす時間です。

たとえば、好きな音楽を聴きながらコーヒーを飲む。
散歩の途中で空を見上げる。
それだけで、心の奥に眠っていた小さな声が聞こえてきます。
「私、これが好きだったな」「もっとこんなふうに生きたいな」
そんな素直な気持ちが、少しずつ戻ってくるのです。

子どもを預けることも、誰かに頼ることも、怠けることではありません。
むしろ、家族がそれぞれ自分の時間を持つことは、互いを尊重すること。
そして、「自分を大切にする練習」でもあります。

私もあの頃、一人でカフェに座ってお茶を飲むたびに、心の奥で小さな戦いをしていました。
「『何もしていない』と感じても、ここにいていいんだよ」
その声を、自分の中に育てる時間だったのだと思います。

役割がなくても、あなたには価値があります。
それを確かめるために、「一人の時間」は必要なのです。