師匠(メンター)とは、人生や仕事の節目で、こちらの背中を押してくれる「指導者」であり「支援者」です。
人って、がんばり屋ほど「一人で何とかしなきゃ」と思いがちです。
家族のこと、仕事のこと、お金のこと。
誰にも弱音を言えず、気づけば心だけが置いてけぼり。
そんな時に現れるのが、師匠でした。
教師時代の師匠は、仕事のやり方だけじゃなく、生き方の姿勢まで教えてくれました。
授業の組み立て方、クラスの空気の整え方、部活の指導。
そして勉強会のあとの懇親会では、お酒の注ぎ方や料理の頼み方まで。
「そこまで?」と思うかもしれませんが、こういう細部って、自信のなさが出やすい場所です。
たとえば、気の利いた注文ができなくて黙ってしまう。
場の流れが読めなくて、家に帰って一人反省会が始まる。
そういう人にとっては、たった一つの振る舞いを教わるだけで、次から肩の力が抜けたりします。
生きることの師匠として大きかったのは、風水や気学の先生との出会いでした。
正直、最初は「占いでしょ?」と思っていました。
でも先生は言いました。
「信じるかどうかじゃない。試して、自分の目で確かめたらいい」
ここが衝撃でした。
言われた通りに動いて、起きたことをメモする。
そして来月は別の条件で試して比べる。
たとえば「今月は南がいい方位」と書かれていたら、いつもより南の方へ出かける回数を増やす。
カフェでも、用事でも、散歩でもいい。
その時に起きた出来事、会った人、自分の気分の変化を書き留める。
翌月「北はよくない方位」と出たら、あえて北へ行く回数を増やして、同じように記録する。
そして見比べる。
すると「気のせい」で片づけられない何かが、少しずつ見えてくる。
何より良いのは、こういう検証をすると「自分で人生を動かしてる感覚」が戻ってくることです。
待つだけの毎日から、試す毎日に変わる。
それだけで、世界に奥行きが出ます。
そして、娘も私の師匠です。
大人になるうちに忘れてしまった「そのままの感情」を、毎日見せてくれます。
楽しい時は大声で笑う。
息ができなくなるくらい笑う。
嫌な時は全身で「いやだ!」を表現する。
泣いて、わめいて、体当たりして、じだんだ踏む。
好きなものは「大好き」と迷いなく言う。
大人はそこを、いつの間にか削っていきます。
迷惑をかけないように。
嫌われないように。
でも、その削った分だけ、自分の本音が分からなくなっていく。
娘はそれを、毎日まっすぐに思い出させてくれます。
そして私には、もう一人、大切な師匠がいます。
私が気づいていないこと。
いや、気づいているのに気づかないふりをしていること。
それを、ある時は直球で、ある時は変化球で、私が受け取れる角度で投げてくれる人です。
知識が豊富で、意見が違っても受け止める深さがある。
でも違うと思ったことは、ちゃんと主張して曲げない。
黙々と積み上げる強さがあり、飾らず、嘘をつかない。
自分を客観的に見ている人です。
その人の前だと、私は無理をしなくていい。
「ちゃんとしている私」を演じなくていい。
ただの私でいられます。
今、私は自分の決めた道に向かって進んでいます。
歩いているのは一人でも、支えてくれる人がいるから心強い。
師匠がいるというのは、依存することじゃありません。
自分の人生を、自分で選ぶ力を取り戻していくことです。